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〜The First Time〜
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マット ホフマンとハンドレール。
BMXを知ってから、そんなに日が経っていないなら、今日みんながやっているトリックを最初、誰が考え出したのかなんて見当もつかないだろう。その辺を知ってもらうために、かつて、それらのトリックがどのように生まれたのかを物語にしていこう。初めに、マット ホフマンに自転車でやった最初のハンドレールについて語ってもらった。そう、マット ホフマンが最初にやったのだ。
1989年 3月
昔々、「やってみたい?」という名のハンドレールが、自転車に跨った少年に滑り降りれるんじゃないか、というアイディアを与えた。傾斜が付いていて、デッキが無いのを除けば、ちょうど彼の友達、「バートランプ」でやるのと変わらないのではないか、と。「うーん。」BMXという名のマシーンに跨った少年はつぶやいた。「そんなに悪い考えじゃないな。」
最初、その少年は、チェーンをレールに乗せて滑り降りるのカッコイイんじゃないか、と考えたが、幾多の挑戦の末、少年は血まみれに叩きのめされた。彼はいつも、バランスポイントが定まらないことから、もっと確実な方法でやって見るべきだ、と決めた。それで、自転車の下につける、後に「バッシュ(ぶっ叩く)ガード」と呼ばれる事になる奇妙な仕掛けを考案したが、彼はレールを滑るためにその仕掛けを考え出したのに、バッシュガードと呼ばれることに納得がいかなかった。この事は、落ち込んでいた少年を、もっと打ちのめした。
ここで「Mr Peg」が物語に現れる。「Mr Peg」は言った。「俺にもやらせてくれるかい?俺はまだ全然活躍していないし、君がおかしなフラットランドトリックをして僕に恥をかかせたじゃないか。フレームスタンドバースピンに挑戦した後、キミもフラットの才能がゼロって分かっただろ?俺にも違う仕事をくれよ。」
「うーん」その少年は言った。「そんなに悪い考えじゃないな。」
「Mr Peg」を使ってレールを滑り降りる事に自信が持てない少年は、オクラホマ州中を「初心者向け」レールがないか探し回った。少年はは「Mr Peg」が言うまで気がつかなかったような平らなレールを見つけた。今では、そういうレールはそこらかしこにあるが、とにかくその少年はレールを「Mr Peg」で滑り、研ぎつづけた。うまくなるために。だがいつまで立っても、階段に備え付けられた恐ろしいレールに挑戦する、心の準備が出来なかった。
ある日、少年は倒すべき相手を、何時間もにらみ続けた。少年は"やってみたい?"レールをやっつけるのに、ただひとつの方法しかないと決意した。(ところで、少年の自転車の名前はその価値があるものに対して"やっちまえ"という名前だった。)その少年はハンドレールに触り、奴は手加減なんてしてくれないさ、と覚悟を決めた。そのレールの近くにいたスケーターは、キチガイを見るような目で少年を見ていた。
しかし少年は言った。"やってやる!"と。"やってみたい?"レールはとにかく彼には挑戦する価値のあるものだったのだ。
ライバルをやっつけることに成功した少年は、手当たり次第に街中のハンドレールを滑った。"見つけたらやっつける"のが使命のように。一見、簡単そうなレールが少年を"戦艦"BMXから振り落とすまでは。彼がそのレールの種類を確かめると、「アルミ」という材質で出来ていることに気が付いた。この「アルミ」は「Mr Peg」が嫌いだった。「Mr Peg」がクロモリから出来ていることなど、とにかく全部が気に入らなかったのだ。少年は彼の研究室に向かい、少年の友達のスケーター用語で言うところの「coper」という器具を作った。PVC(ポリビニール。硬いプラスチック。床を覆ったりする。)の塊を手に入れて、ペグの表面の溝をそのカケラで覆ったのだ。少年はそれがバッチリ決まった事に喜び、そのアルミ製の相手をごまかすことで、やっつける事に成功した。
鉄やアルミのレールのカタチをしたものを滑り降り続けた末、やがてPVCは剥がれ、クロモリの地が見え始めた。ライバルに気づいたアルミ製の敵は、少年を「戦艦」BMXから振り落とし、少年の指をへし折った。少年がレールを滑ろうとレールに乗った時、引っかかって少年の指を大きく後ろに折り曲げたのだ。だがこの怪我によって、彼は新たなるライバルを見つける事になった。「Mr 900」だ。彼はハンドルバーを作るために鋳型を作って、そして・・・つづく。
Mat Hoffman
編集後記
僕はマットに今までやったレールで一番大きいのは何か、と質問してみたが、それに以下のように答えてくれた。
「うーん、難しい質問だ。昔は「階段にしたら何段分」なんて数えなかったからね。ってまてよ、そうだ、こいつはデカイかもしれない。それはハンドレールを滑ることが競われる前の話だよ。おかしな話さ。肩の怪我のせいで、俺は90年頃から、でかいハンドレールはやらなくなっていた。おかげで俺のバニーホップの腕も落ちたね。だから89年の終わりから90年にかけて、サンディエゴでやったやつか、俺のビデオ「Head First」でやった奴のどちらかだね。両方とも階段20段分くらいはあったんじゃないかな。でもある意味、レールは階段の数じゃないんだな。時には階段10段分のレールが、20段分のレールより手強いこともあるんだよ。わかる?」
Ride BMX No 51 より。
special thanks"Green-G"